ぬすっと宮、第六天神社をへて満蔵寺の探勝

[ふるさと歴史探訪 / 中里忠博著]より

<本文>蓮田駅の東口はすだ見どころ道しるべの看板をみて進もう。駅を背にして左斜め前方の道をすすみ、国道旧122号線の信号を渡り、100mほど先を右折すると東町の愛宕神社(あたごじんじゃ)があります。

愛宕社(あたごしゃ)

同社の縁起によると享保3年(1718年)長谷部氏がこの地に歓請したことにはじまります。祭神は火の神、鬼門除神(きもんよけのかみ)である勝軍地蔵菩薩です。神道では火を司る迦具土神といいます。近在の人々から愛宕様としてしたしまれ、火防、武芸、五穀豊穣の神として信仰されています。 境内には、浅間神社(せんげんじんじゃ)も祀(まつ)られています。祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であり、富士山の気高さ美しさを桜花の美しさを例えたといわれ山そのものが御神体といわれます。安産,子育、子授け、酒造、花火,養蚕、産業振興などにご利益(りやく)があるといわれ今も多くの人の信仰を集めています。7月1日の初山には子供の健康成長を願う子供づれの人々で賑わいます。この両社は昭和初期まで長谷部氏の氏神であったが地区で譲りうけ村社として祀られたということです。

蓮田市の古墳

両社とも塚の頂上に建てられているがこれは古墳の上に祀ったものといわれています。古老のはなしでは昭和初期まで前方後円墳であったが耕地整理のさい北側の前方部を削土し社のある後円部が残っているとのことです。蓮田市内で原型をとどめる古墳の一つです。蓮田市内には、現存していないが径20〜30mの円墳がかつては存在していました。蓮田地区では愛宕社の他に駅の西あたりに、いずれの場所も古墳群として存在していたようです。この他に小墳も各地にありましたがいくつかを残していずれも昭和初期に破壊されてしまいました。

愛宕社から元の県道にもどり、国道新122号の久台交差点を渡ります。宮前橋手前の右手の林の中に社(やしろ)があります。川島地区の鎮守久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)です。

ぬすっと宮

川島の久伊豆神社のことを土地の人々は「ぬすっと宮」といっています。そのいわれについてはいくつかの説がありますがニつほどお話ししましょう

今から200年も昔のことです。そのころ日本ぢゅうがうちつづく日照りや大雨による洪水がおきたり寒さでお米も麦もとれない年がながく続きました。たくさんの人がうえや寒さのためになくなりました。ある日、川の上流のほうから役人におわれてぬすびとが逃げてきました。ぬすびとは自分のためにぬすみを働くのでなく困っている人たちを見かねて、裕福な長者や因業(いんごう)な者から金品を掠(かす)めとり貧しい人々に与えてなにくわぬふりをして、昼は仕事に精をだしていました。誰いうとなく義賊といわれるようになっていましたが、役人の知るところとなり追われる身となってこの地まで逃げてきたのです。いよいよ追いつめられつかまりそうになったとき、ぬすびとの耳に「この森にかくれよ」と、いう声が聞こえぬすびとは急いで森の中にかくれました.追っ手の役人たちが森の中をいくら探しても見つからずとうとう引きあげていきました。ぬすびとがおそるおそる顔をもたげてあたりを見まわすとそこは久伊豆社の森だったのです。この話を聞いてこのあと土地の人々は「ぬすっと宮」と呼びいよいよ信仰あつい神様としてお参りをたやさなかったといいます。

昔、この地方にまい日まい日雨が降り続き大洪水がおこりました、久伊豆神社も水没するということが起こったのです。1ヶ月も水が引かずようやく水が引いたので、村人は家にかえり自分の家や田畑の手入れに夢中になり神様のことなどみんながすっかり忘れていました。秋のお祭の日がちかづいて村人は神社に集まって社の中に入ってみて驚きました。社の中の御神体(ごしんたい)が見当たらないのです。さっそく村人たちはお坊さんにこの事をはなしました。お坊さんは大変徳の高いひとでしたから、「早速うらなってあげよう」と、いって仏様を拝みはじめました。しばらくして「これこれお前たちよ、これはお前たちが日頃信心深かいので神様が身代わりになって大水に流されていらっしゃったのだ、お前たちを救ってくれたのだ、お蔭で村の人はみんな助かったではないか。大水が神様をもっていかれたのだ」と、伝えました。それ以降村人は神様をいままで以上に大切にしお供えやお参りをかかしませんでした。霊験あらたかな神様として近郷近在の人々もお参りにやってきました。そのうちに誰いうとなく「ぬすっと宮」というようなったと言うことです。

久伊豆神社をあとにして、元荒川にそって200m程歩道をすすむとT字路があり魚庄の看板にかくれるように富士塚があります。

富士塚

高さ3m程の土もりした塚で山頂部に富士浅間神社の石神が祀られ、山の周囲にも神々の名を刻んだ石神が建ち〆縄がはられています。手洗い石にこの山を築いた富士信仰の信者の名が刻まれています。信者は川島村,深作村(大宮市)北蓮田村、閏戸村、笹山村の各村の人たちです。石碑の年代をみると仙元社(せんげんしゃ)の碑には宝永元年と書かれています宝永と言えば4年には富士山が大爆発をしている、新しいところでは明治13年のものもあります。新しいところでは明治13年のものもあります。その当時、東北本線が蓮田の地を通ることで村々が騒然としていた頃でもあり,各村の人々が神々に祈り心のやすらぎを求めていたのではないでしょうか。

高速道路の下をくぐり直ぐに信号を右折、50m先を左折し進むと民家の庭先に金斎の碑があります。はすだはすの実作業所前をすぎ約400m先の変則五差路右に進む。約250m先の上り坂手前を左折し、道なりにすすみカンダコーポレーション前を進む。そらからすぐに赤坂沼のへりにでます。

赤坂沼

岩槻台地が浸蝕によって作られた谷に乱流していた頃、川の土砂が出口を塞ぎ沼地となり残ったもので蓮田や黒浜、岩槻台地にはたくさんあって、休日などは釣客でにぎわっています。

給食センターの横を通りぬけると切り通しに出ますこの切り通しは武州鉄道(ぶしゅうてつどう)の軌道跡(きどうあと)です.。突き当たった角の岩槻市立河合小学校のところに稲荷社の祠があります。学校にそって大きく道路を迂回すると正門前にでます。   正門を真直ぐすすむとニつめの十字路の角に小さな庚申塔が建っている。そこで右に曲がってカーブした道を登って行くと東北縦貫自動車道の上にでます。坂を下ると馬込地区の鎮守の第六天神社です広い境内は休憩するのにちょうどよいです。

武州鉄道

幻の鉄道といわれ今は知る人も少なくなっているが、明治18年(1885年)東北本線が蓮田を通るようになり、岩槻に商用などでおとずれる客は蓮田駅で降り岩槻まで人力車か徒歩で行きました。大変不便だったのでこれを解消しようと、明治39年(1906年)武州電気鉄道株式会社が設立され、明治43年11月5日免許がおり、資金と用地買収に手間取りようやく大正13年(1924年)10月19日蓮田、岩槻間が開通、1日7往復運賃3等21銭でした。おりしも昭和初期の大不況にみまわれ、大宮、岩槻、春日部間の総武鉄道(現東武鉄道野田線)が昭和4年に開通するに至って乗客が激減しさらに日華事変の勃発が重なり、ついに昭和13年に廃止におい込まれました。この鉄道は東京までの計画もあったので、今この鉄道が残っていたならば蓮田市がどう変わっていたかをおもうと残念な気もします。

第六天神社

第六天神とは皇祖天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の前の神で天神七代の神のうち第六番めの神即ち面足尊(おもたるのみこと),吾屋惶根尊(あやかしこのみこと)の二柱を主神とする.。大神が大地ができたときに「あやにかしこし」と称えられた「不足することなく具(そな)わり満足」を意味することばで、以来この神は人々から崇められている神である.火難、盗難、疫病を除去し五穀豊穣、商売繁盛、家運為福、合格祈願を祈ります。祭神の眷族(けんぞく)は天狗(てんぐ)で社の中には天狗の絵馬(えま)がたくさんあります。  第六天神社の前で道がわかれます。角地には立派な庚申等が建っています塔の両端に彫られている文字をみると右かうのす(鴻巣市)左原市(上尾市原市)と読めます右鴻巣方面の道を進むことにします600m程で酒屋の看板が目につき、酒屋の裏手に名刹馬込の満蔵寺があります。

給食センターの横を通りぬけると切り通しに出ますこの切り通しは武州鉄道(ぶしゅうてつどう)の軌道跡(きどうあと)です.。突き当たった角の岩槻市立河合小学校のところに稲荷社の祠があります。学校にそって大きく道路を迂回すると正門前にでます。   正門を真直ぐすすむとニつめの十字路の角に小さな庚申塔が建っている。そこで右に曲がってカーブした道を登って行くと東北縦貫自動車道の上にでます。坂を下ると馬込地区の鎮守の第六天神社です広い境内は休憩するのにちょうどよいです。

満蔵寺

天台宗の寺院で入間郡古尾谷村(川越市)灌頂院の末、瑠璃光山東光院と号し,新編武蔵風土記稿(江戸時代に書かれた)に「当山は慈覚大師の開建といわれ,嘉祥3年(850年)に開かれたが宗祖を指して開山となすものままあればうけがたしと記されている」開山はいずれにしても1000年以上の歴史を持ち文化財として勝のある仏像等があります。

満蔵寺を辞してもとの道を右にとって、舗装された通りを約400mほど進むと右側に理容店の看板があるT字路を右折し、左カーブの坂道を下ると旧国道122号線にでます。その角の材木店の裏手にひっそりと武州鉄道馬込車站駅の碑があります。目の前の旧国道122号線を車輛に注意しながら左方向にすすと南消防分署があります。道路をへだてた反対側の路地の角に立派な庚申塔を見ることができます。見おわったら再び消防署側にもどり更に約300m進み信号のある交差点を左折しすぐに右折すると駅前住宅地の裏通りのさくら並木のある通りにでます。そのまま進むと朝でかけに通った道路で蓮田東口にでられます

   
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