城館跡

中世において、蓮田に関連する人物として名が出てくるものに、江ケ崎の在地領主と思われる江崎沙弥行蓮という人物がいます。
その名が出てくるのは、明治40年に江ケ崎の久伊豆神社境内地から出土したと伝えれれる鰐口の銘文です。その銘には正和3年(1314年)甲寅3月9日、檀那江崎沙弥行蓮敬白、とあります。
この鰐口は埼玉県内に現存する最古のもので、鎌倉時代の銘を持つ唯一のものでもあります。
出土地と伝えられる江ケ崎久伊豆神社は嘉吉年中(1441〜1444年)の勧請とされていますが、この鰐口はその起源を遡らせる可能性もあります。
久伊豆神社の北方に隣接する位置には県指定旧跡である江ケ崎城跡があります。
鎌倉期から長期間にわたって利用された館跡といわれており、昭和32・33年の発掘調査では、東西60m、南北67mで南側に入り口を持つ内郭、その周囲を囲む高さ1.5mの土塁と幅4.5m・深さ1.8mの堀が報告されています。内郭の2つの井戸からは木製の桶や曲物、漆器破片等が出土したことも報告されています。
その城主については野与党の鬼窪尾張守繁政、あるいは新羅三郎義光の子孫またはその家臣といった伝承もありますが、江崎氏や江ケ崎城、江ケ崎久伊豆神社について記された当時の文書や記録は皆無であり、その実際を知ることはできません。
しかしながら、元荒川左岸の白岡台地南東端という地形と、そこに存する城跡と神社は、江崎行蓮という在地勢力の存在を私たちに訴えかけてきます。
このほか、市域の中世城館跡と伝えられるものに井沼堀之内、閏戸堀の内、桑原堀の内、城、辻谷堀の内、馬場堀の内、閏戸足利遺跡があるが(埼玉県教育委員会『埼玉の中世城館跡』)、築造年代を鎌倉時代と推定されているものは、辻谷堀の内のみです(埼玉県教育委員会『埼玉の館城跡』)。延慶4年(1311年)銘の板碑(寅子石)に近い位置にあたりますが、史料はなく、鎌倉期の在地領主を確かめることはできません。

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黒浜貝塚 元荒川の桜 芥川龍之介の撰文碑 黒浜沼
寅子石 久伊豆神社 円空仏 閏戸の式三番
山ノ神沼 見沼代用水 綾瀬貝塚 蓮田市文化財展示館
関山貝塚 高虫氷川神社彫刻 伊豆島の大蛇 備前堤
   
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