円空仏と江ヶ崎城跡をたずねて

[ふるさと歴史探訪 / 中里忠博著]より

<本文>今日ご案内する江ヶ崎方面は蓮田駅より若干遠いので、途中までバスを利用したい。 蓮田駅の東口から東埼玉病院行きに乗り、病院入口で下車します。下車しましたらそのまま県道蓮田杉戸線をすすまれてもよいが、交通量が多いので旧道を行きたい。バスを降りたら、東埼玉病院の正門まで30m程進み十字路を右に曲がり、県道を見ながら進み突き当りを右に行き県道を横切ります。300m少し行くと宮司の矢島家の標識があります。宮司の家の左側の路地を入ると江ヶ崎の鎮守久伊豆神社があります。

休んだあと、道を真っすぐ360m進むと台地のはずれに、「富士浅間神社」の石神の建つ塚がある.他にも馬頭観音(ばとうかんのん)、小御嶽石尊大権現(こおんたけせきそんだいごんげん)の石神が塚の笹にうもれそうに建っている坂を下ると田んぼにでます。田んぼに立つと対岸の恩恵寺が手にとるようにせまってくる。黒浜沼の排水路,新堀を渡り十字路を左折し400m程のところを左折して江ヶ崎の台地に引き返すと少し広めの道に出る(神社前の道と一緒になる)右に折れると蓮田園の前を通り道がY字になるので左に行きます。正面に「セブンイレブンたにしや」の店があり、お店の左に「たにし不動,円空仏,江ヶ崎城跡」の看板が建っています。看板のある路地を入ると「たにし不動」が祭られています。

*「幸手市にもこの変わった名の不動尊があり、次のようなことが伝えられています.「安政のころ小林善平なる者が眼病になり苦しんでいました.。ある夜、成田不動尊が夢枕にたち越後の菅谷不動尊の信心を勧めるので,さっそく越後におもむきお参りしたところたちまち眼病が治ったので感激した善平は名主らの協力をえて菅谷不動と成田不動の二つの堂を建立したという。それ以来眼病平癒の不動尊おして近在ばかりでなく遠方からも信者がくるようになった。不動尊の絵馬が奉納されました.火炎のなかにたにしが二つ並んでいる図柄で、この螺のような丈夫な眼をお授けくださいとの願いを象徴したものでした。その後「たにし不動」の名で信仰されました。 たにし不動を信心する人は当時の農村の蛋白源であったたにしを一切口にしなかった時代の神頼みであったかをしる話です。 たにし不動尊の入り口にいぼとり地蔵尊も祭られています。石川家が、この地を支配してきた村おさとして村の人々のまよいや不安を取り除くために気遣いをされていたことを知ることができる資料ではないでしょうか。 たにし不動の裏手が江ヶ崎城跡になります。現在は住宅地として開発されています。お店の右の路地を入って十字路のところが館のお堀にかかる二の門にあたるところです。道を左にとり坂を下ったところが江戸時代から明治の初めに高札場があったところになります。十字路を右手に曲がると保福寺に行きます。

保福寺をあとにして参道の途中で右に曲がり、墓地脇のじゃり道を行きすぐに右にすすむと駐車場に突き当たるのでここを左折、150mほど進み右折し歩道のない道路を約250m進むと信号機のある5差路交差点に出るのど、直角に左折すると左手に蓮田松韻高校が見えてきます。その先が黒浜公園がありますので一休みしましょう。 休んだあと蓮田松韻高等学校と公園の間の道に入って行きます。東埼玉病院は関係者以外立ち入り禁止になっているので、道なりに進み変則交差点を右折します。そのまま進み最初の十字路を左折すると最初にバスを降りて歩いた道にでます。やがて病院入口前のバス停があります。

*兵見塚についての伝承として、戦国の世、岩槻城防衛のための見張りがおかれたところから、土地の人々が兵見塚と称えたといわれている。また、一説には黒浜地区に100ヘクタールを越す森がありました(戦争中に伐採される)。森の中に岩槻城主太田三楽斉につかえた、忍者集団をたばねる元家老の山本某なるものが住し、岩槻城との間の交信(のろし台か)をしていた場所とも言われている。いずれにしても室町時代から戦国時代に武士たちによって利用され、その名が伝えられたものと考えられます。 付近には、十三塚、まがり塚、東光院塚などの名が残されている。

   
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