円空仏

円空は、江戸時代前期、美濃国(岐阜県)に 生まれた僧侶です。しかし、詳しい生い立ちについては、いまだに多くの謎が残さ れています。
彼は民衆を苦しみから救うため、悩み苦しむ人には菩薩像を、病に苦しむ人には薬師像を、災害に苦しむ人には不動明王像を、干ばつに苦しむ人には竜王像を、限りある命を救うために阿弥陀像などを刻み歩いたようです。
岐阜を出発した円空は、青森を経て北海道に渡りました。そして北国の旅を終えて 故郷に戻り、40代半ばを過ぎるまでの10数年間、更に仏像づくりに打ち込んで、ごつごつした彫り痕を特徴とする、一刀彫り(いっとうぼり)の手法を確立しました 。独自の手法を確立した後は、岐阜、滋賀、愛知などに活動範囲を広げ、さらに関 東に足を延ばし、日光を訪れます。関東地方にはおよそ4年間滞在しました。
この 際、蓮田の黒浜、江ケ崎にも立ち寄り、仏像を残したのです。
市内には今も24体( 市指定5体)の像が残されていて、そのうちの観音菩薩立像など18体が、久伊豆神 社の宮司である矢島家で発見されました。
矢島家の円空仏は、埼玉県の指定文化財 (「矢島家円空仏群(やじまけえんくうぶつぐん)」)になっており、大部分が埼 玉県立博物館で保管されています。また、小さいものは蓮田市の文化財展示館で見ることができます。円空の手による仏像は、今のところ全国で4,500体あまりが確認されています。
岐阜県・愛知県に次ぐ個体数が確認されている埼玉県内の円空仏は151体。これらの多くは大宮、岩槻、蓮田など、日光御成街道沿 いの地域で集中的に見つかっています。
円空について、まず、誰もが驚くのは、生涯で12万体あまりの仏像を作ったということでしょう。64年間の生涯で単純計算しても、年間で1800体以上の仏像を製作していたことになります。
数だけでなく作品としても魅力的で、円空仏は、約300年も昔の作品であるにも関わらず、今でも人々の心を打ち続けています。それは慈愛に満ちた「微笑」の魅力です。これは一般的に柔らかい表情の多い観音菩薩・地蔵菩薩だけでなく、厳めしい表情が多いとされる不動明王や仁王像に至るまで口元に微笑が込められています。
また、仏像製作を重ねるうちに造形の簡略化が進み、荒削りながらもそれが逆に木目や節や割れ目といった、木という素材の魅力をダイナミックに引き出しています。
造形の簡略化は同時に仏像の量産を可能にし、本格的な仏閣に奉る仏像だけでなく、多くの人々が身近に拝観できる仏像も提供しました。道端に転がっていそうな木の破片を削った、いわゆる「木っ端仏」も円空は多く製作していますが、それらが飢えや疫病や災害に苦しんでいた当時の民衆に安らぎを与えてくれたことは想像に難くありません。木の破片から生まれた荒削りな仏像にもかかわらず、その多くは捨てられることなく現在まで大切に受け継がれています。
仏師が経典の規範に則って製作したものとは違い、素朴で自由な造形の円空の作品は、人々に親しまれ、信仰されてきました。迷いのない力強い直線的な造形と、簡潔な彫りの中に浮かぶ慈愛に満ちた表情をもつ円空仏は、現代を生きる私たちを魅了してやみません。

黒浜貝塚 元荒川の桜 芥川龍之介の撰文碑 黒浜沼
寅子石 久伊豆神社 円空仏 閏戸の式三番
山ノ神沼 見沼代用水 綾瀬貝塚 蓮田市文化財展示館
関山貝塚 高虫氷川神社彫刻 伊豆島の大蛇 備前堤

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