武州鉄道跡

明治時代の終わり頃から大正時代にかけて、政友会による地方の利益優先の鉄道政策が推進されました。武州鉄道はこのような時代背景のなかで計画され、紆余曲折の後、1924年(大正13年)10月に蓮田〜岩槻間が開業しました。開業当初の駅は蓮田と岩槻しかなく、その間を15分で走っていました。翌年に河合駅と岩槻北口駅ができ、蓮田・岩槻間は18分となりました。運行本数は当初7往復で、後に6往復に減ったようです。運賃は蓮田・岩槻間で20銭でした。その後1928年(昭和3年)に岩槻〜武州大門間が、1936年(昭和11年)に武州大門〜神根間が開通しました。
武州鉄道は当初から政府の補助金を当てに営業していました。補助期限が開業から10年間のため1937年(昭和12年)で打ち切りになってしまうため、営業区間を延ばすなどの努力をしてきましたが、そのかいなく営業不振のため1938年(昭和13年)会社を解散しました。
武州鉄道は、JR蓮田駅の東口にある現在の駐輪場を武州鉄道蓮田駅としていました。そこから延びる線路は、現在の蓮田市中央公民館裏の駐車場を通り大きく左にカーブしながら南に進んでいきました。住宅地図を見ますとその軌跡がいまでもよくわかります。根ケ谷戸公園の東に位置するあたりでのくぼ通りを渡りそのまま竹林に入っていきます。ここは現在も軌跡が残っている場所です。竹林を抜けたところにある材木店の端に「馬込車站建設碑」が立っています。この先も、道路や畑の境などから軌跡はたどれます。

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