備前堤

備前堤は高虫村(現在の蓮田市高虫)と小針領家村(現在の桶川市小針領家)の間に築かれた堤防で、1596年〜1615年(江戸時代慶長期)に伊奈備前守忠次により造られたといわれています。規模は、長さ500間余(900m余)・底部幅6間(約11m)・上部幅2間(約3.6m)です。備前堤を造った目的ですが、築造時の資料がないので明確には分かっていません。これまで、元荒川と綾瀬川とを分離するためであるとか元荒川の流路を変えるためであるとかといわれてきました。しかし、これまで地元に残された資料ではそういう内容のものはなく、洪水を防ぐためという記述が数多く残っています。耕地を水害から守るための堤は多くあり、備前堤も小室領や岩槻領の耕地を守るために造られたと考えられます。小針領家村の台地まで堤を延長していることが一つの証拠となるでしょう。また、鴻巣領の排水路である赤堀川の開削など新田開発に伴う整備と、この備前堤の築造が関連することも十分ありうることです。 江戸時代の後半は、全国的にも水害が頻発した時代です。この時期に異常気象が続発したわけではなく、それまでの新田開発の増大や、河川工事等の結果が、水害を頻発させたことになります。備前堤も例外ではありません。頻発する洪水は備前堤を境に上流部に属する村々と下流部に属する村々の激しい対立を生むことになりました。上流部では洪水が起こると備前堤があるため水が引かないし、下流部では備前堤が切れれば大きな被害を受けるという、まったく利害が相反する状況であったわけです。堤を低くしたい上流部と高くしたい下流部に対して奉行所が裁定した堤の高さを示しているのが、現在も残る写真の御定杭です。

   
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