綾瀬貝塚

埼玉県指定史跡である綾瀬貝塚は、貝塚神社付近一帯に広がる縄文時代前期の貝塚です。淡水産ヤマトシジミを主体とする主淡貝塚(神社周辺)と海水産貝類を主体とする主喊貝塚の2つで構成され、対岸の白岡町正福院貝塚とともに元荒川流域の最奥部に位置する貝塚としても知られています。
昭和初期に大山自然学研究所等により発掘調査が実施され、イルカの骨の出土等が報告されています。
綾瀬貝塚の貝の構成から、当時このあたりまで海が来ていたことがわかります。このことから綾瀬貝塚とともに話される事柄に「縄文海進」があります。
縄文海進とは、約7000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2〜3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入した現象をさします。
この時代には日本列島の各地に複雑な入り江をもつ海岸線が作られました。
その後海面は現在の高さまで低下し、 かつての入り江は堆積物で埋積されて、現在水田などに利用されている比較的広く低平な沖積平野を作りました。
花粉化石や貝化石の研究に基づくと、この時期の日本列島は、今よりも数℃以上気温、水温が温暖な時期であったことも推定されています。なぜこのような変化があったのか、次のように説明されています。
最終氷期と呼ばれる今から約10000年以上前の時代には、 北アメリカ大陸やヨーロッパ大陸の北部には現在の南極氷床の規模にも匹敵する厚さ数千メートルにも達する巨大な氷床が存在していました。
これらの氷床は、約19000年前に最大に達し、それ以降急激に融解し、約7000年前までには、ほぼ完全に融けきってしまったことが、 氷河の後退過程で削剥・運搬されて残された地形や堆積物の研究からわかっています。この北半球の巨大な氷床の融解に伴って、約19000年前以降、氷床から遠く離れた場所では、 海面は年間で1〜2センチメートルというものすごい速さをもって100メートル以上も上昇し、 ちょうど約7000年前までには海面が一番高くなりました。これが縄文海進の原因です。 しかし、その後起こった海退の原因は、氷床が再拡大したためではなく、その後、氷床融解による海水量が増大したことによって、 その海水の重みで海洋底が遅れてゆっくりと沈降した結果、見かけ上、海面が下がって見えることによります。
これが約7000年前の縄文海進の背景にある地球規模の出来事です。

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